母の一周忌を終えて思う事

8月後半に、母の一周忌(兼・初盆)の法要がありました。
こうして節目節目にお経をあげてもらう事で、少しずつ心の整理が出来てきている気がします。

転勤族で荷物を極力持たないようにしていたからか、面倒くさかっただけか、我が家は行事ごとをことごとくスルーする家だったのですが、神事に関しては「きちんとする」事による効果は侮れないな…と感じています。

母が亡くなって1年。
流れで「去年母を亡くしまして」という話をしても、もうお悔やみの言葉を言われる事はなくなり「ああ、そうなんですか」と流される(というか、誰でも通る道よね、という対応…かな?)ようになりました。
その方が気が楽という気もします。
いや、やっと少し慣れたのかもしれない。

7月の私の誕生日に、数十年会っていない幼なじみからお祝いメールが来て、その中に
「数ヶ月前に母を亡くして、とても立ち直れない」
と書いてありました。
自分は深い深い哀しみの中にいて非日常なのに、周囲はあまりにも日常で、その違和感を感じているとも。
同年代で母親を亡くしている人が周りにいないので、あなたならわかってくれるかと思って甘えたくなった、と書いてありました。

わかるなぁ…と思いました。

親を亡くすのは確かに当たり前の事で、「遅かれ早かれ誰でも通る道」とドライに聞こえる言葉を言う人は割と多くいます。
それが慰めの言葉である事もわかっています。
ただ、哀しみのまっただ中にいる時にはその言葉が宇宙人の言葉に聞こえる。

私が仕事を辞めて介護の為にUターンする時も
「え、なんで?施設に預ければ?」という反応は多少ありました。
家庭の形や考え方は人それぞれで、何が正しいという事は簡単に言えないのですが、やはりものすごい違和感を禁じ得なかった。

誰かの哀しみに寄り添ったり、共有したりする事も、その人と自分とは同じ人間・境遇ではないので、また難しいものです。
私もしばし悩んだ末、幼なじみには
「哀しみは癒えないかもしれないけど、時間をかけて慣れる事は出来ると思う。いつでも何でも話してね。」と返信をしました。



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