誤嚥性肺炎と入院、転院 3

1人になると心が激しく動揺して泣いたりしていますが
兄姉と今後の相談をしたり、事務的な事をこなしている時は
表向き、いたって冷静に過ごしています。

医師から母の予後を知らされて
「まだ反応があるうちに、母の兄姉親戚に会わせてあげたい」と思い
一番連絡をとりやすい叔母に電話をしました。
母が入院した事と、現在の状態を話して、親戚みんなにも
伝えておいて欲しいとお願いしました。

母は9人兄姉。
連絡網がまわるうちに、母が危篤状態で今日明日の命みたいな伝わり方を
していったようで、連日病院に親戚が駆けつけてきました。

中には「危篤だと聞いてたから…」と拍子抜けしている親戚もいましたが
結果的には、たくさんの親戚が母と面会してくれたので
私は良かったと思っています。

母には誰が誰だかわかっているのかいないのか、わかりませんが
それでもたくさんの人が会いに来てくれて、きっと母は
喜んでくれていると思っています。

もちろん、施設入居中の父も、母のところに連れていきました。
だいぶ遠い病院なので、介護タクシーでの移動中に父が体調悪くならないか
心配でしたが、大丈夫でした。

母の事が大好きな父には残酷な事ですが、
「お母さんに会えるのはこれが最期になるかもしれないからね」と
告げての外出、面会でした。
その数日前に、母の予後を教えた時の父は、神妙な顔でうなずいていましたが
帰り際に振り返ると、うつむいて肩をふるわせて泣いていました。
私も帰り道、少し泣きました。

母に面会した父は、精一杯おどけて、母の気をひこうと
明るく名前を呼び続けました。
父が脳梗塞で倒れたあと、失語症になり、一番最初に覚えたのは母の名前。
喋れない2人の面会だけど、母はしっかりと目を覚まして父を見た。
アイコンタクトがとれた。
それを見て、私はもの凄く救われた気持ちになりました。

父は母とアイコンタクトがとれた後、自分からさっと車椅子を押し
素早く病室を出ました。
少し涙ぐんでいるのが見えました。
ぐんぐん車椅子をこいで、待たせていた介護タクシーへと急いでいました。
施設に戻った父は、穏やかでした。
だけどきっと、私が帰った後に、泣いたのでしょう。

こうして冷静に、母を見送る準備をしている自分を、どこかとても
客観的に、離れたところからぼんやり見ている自分がいます。

ぼんやりしています。

淡々と、母に会いにいく毎日です。
なんだか、これが永遠に続くくらいの気もしています。

電車の中で小説を読みながら、途中のコンビニで昼ごはんを買い、
病院で数時間、母に話しかけたり、頭をなで、同室のおばあちゃんと話したり
なんとなく平和な時間を過ごし、また小説を読みながら帰る。
外食したり、買い物したりする。

たまに、夜に泣く。

頭でわかっている事と、心でわかっている事が
分離したり融合したり、そんな日々です。



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